ひっつきむし(独断と偏見による)

だいたいゲームの感想です

Patch stage Vol.10「羽生蓮太郎」を観ました

 

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昭和45年。 大阪万博が開幕し、ビートルズ解散し、力石徹の葬儀が執り行われ、アポロ13号が地球に帰還し、植村直己が日本人で初めてエベレスト登頂に成功し、三島由紀夫陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地で割腹自殺を図り、それでも「未来」がまだ「希望」と同じ意味を持っていた時代。
ウィリアム・シェイクスピアの戯曲「ハムレット」を下敷きに、激動の昭和時代を生きた青年たちの姿を描く≪浪花節シェイクスピア≫が誕生する。昭和大阪、「浪花坂」という架空の下町に生きる彼らは、少年時代に別れを告げ、未来になにを見るのか?
劇団Patch記念すべき第10回公演は、久々の外部客演なしでお届けする昭和の青春物語。

生活としていろいろあったりなかったりしないわけでもなかったのですが、書きたいことが溜まりまくった結果、書く書くと言いつつ逆にブログめんどい状態に陥っていたことを告白しつつお詫び申し上げます。途中まで書いてだいぶ放置していたので文章中テンションに温度差がみられる可能性もあります。すみません。

というか下書きを寝かせていた間にいろいろと発表ありましたねぱっちさん。次回本公演決定&東京公演おめでとうございます。楽しみにしています。

個人的な前置きみたいなものは前の記事を見ていただくこととしまして、今回も行ってきました。羽生蓮太郎、略してハブレン。いつものABCホールではなく、インディペンデントシアター2ndでの公演です。

こちらの劇場に行くのは初めてだったんですが、舞台や客席は公演ごとに自由に配置されるみたいですね。ハブレンは二面でこんな感じ(実際はもっと椅子が置かれていましたが)。

逆に(?)三面でのお芝居は一度観たことがあったんですが二面は初めて。回ごとに座る位置を変えてみたのですが、色々な視点から観られて面白かったです。

さて、「羽生蓮太郎」はシェイクスピアの「ハムレット」を下敷きとした昭和のお話です。ハムレットをよく知らなくてもあらすじは作中でそれとなく説明が入りますし、ハブレン自体もひとつの物語としてしっかりできているので大丈夫。人物の対応(と役者の名前)も冒頭で紹介してくれる親切設計でした。ハブレン→ハムレット→ハブレンが一番たっぷり楽しめるかも。

とはいえやはり「ハムレット」ありきの劇ということで、岩波の文庫を読んで臨みました。たしょう脱線しますが、これが面白かったんですよね。単純にマイナーな知識から聖句の引用、キリスト教や当時の価値観・文化背景に基づく台詞、スラングや比喩、解釈の分かれる部分などなど、補注が行き届いていて知識ゼロからでも非常に快適でした。訳も最近のもので読みやすいですし、1000円と文庫としてはちょっとお高めですがオススメです。あと「私シェイクスピアとか読んじゃってる…格調高い…」みたいな気分になれます(´>ω∂`)

で、ハムレットを読んでみるとそういう当時の価値観やキリスト教的な発言・思考が多いので、これを昭和に変換するってどんな感じかしらと思っていたのですが、ハブレンは単純な「昭和版ハムレット」とかではないですね。単純に登場人物やストーリーを移し替えると言ったものではない。インスパイアとか本歌取りの方が近いでしょうか。

ここから少々ネタバレ。「羽生蓮太郎」はおそらく多分にメタ的な演劇である(批評家気取り)。「ハムレット」でありながら「ハムレット」に言及する的なやつ。最初は大まかにハムレットの筋をなぞりながら進行していきますが、中盤で演劇「ハムレット」が作中に登場してきます(ハムレットの劇中劇のシーンにあたる)。そこで彼らは「ハムレット」の登場人物である自分たちに言わば気付き、物語は確実に別の方向へ転がり始める。

これがすごくメタだなと思うんですね。羽生蓮太郎くんはハムレットである自分を、この物語(一連の出来事)を意識する。末満さんの演劇はもともとメタ発言・役者ネタなどを入れる方ではありますが、それにしてもハブレンは笑いの要素にしてもそれらや、いわゆる第四の壁を破ったり、演劇そのもの(見えない扉、兼役など)をネタにしたシーンがとても多いです。だからハブレンはメタい。「ハムレット」も劇中劇を用いるメタ的な要素を持つ作品なので、そこを意識しているのでしょうか。ところで「タ」がゲシュタルト崩壊してきたしメタの意味が合ってるかどうか不安になってきました

「羽生蓮太郎」は感情移入して物語を楽しむことも、ちょっと引いて構造を楽しむこともできる、一粒で何度もおいしいお芝居だと思います。あとはもちろん昭和の雰囲気ですね。ストーリーや登場人物の変換具合だとか、原作の台詞をチラッと引用していたり、明らかにあの台詞が元になってるなとわかるものがあったりとか、そういう方向でも楽しい。ハブレン、とても好きな作品です。自分内ぱっちランキングかなりの上位。「演劇を楽しむ」という点では一番かも。二面舞台かつ舞台の位置が低め(というか床)だったのでDVDにどんな風に映っているのか気になりますが、早くまた観たいものです。

 以下はメンバーや登場人物についてなど。たたみます。

 

・羽生蓮太郎(松井勇歩)

ゆうほくんは役ごとに違う人に見えるなあと。前も書いたようにSPECTERから入ったんですが、当初なかなかヒューゴとDVDの特典に出てる顔がかわいくてノリのいいあんちゃんのイメージが合致せず、逆に覚えづらかった記憶があります。ほらあの繭期組ってメイク濃くて顔わかりづらかったからほら…(言い訳)

蓮太郎は目がすごく印象的でした。ブラックホールじみていたと言ってもいい。なのにめちゃくちゃギラギラしていて、黒男を見つめるときの眼光の鋭さときたら。それでいて「なんで」と頑子に問いかけるときは子供みたいで切なかった。秀太郎はあまりいい夫・いい父親ではなかったらしいのですが、それでも憎みきれない、きっといい思い出だってあるたった一人の父親で、そんな秀太郎を殺した頑子は大事な母親で。頑子への感情は複雑と言って余りあるものだったはずです。こっちまで苦しくなるくらい。

蓮太郎ってなかなか素直になれない人というか、不器用なのかなと思うんですね。それに元々どこか感覚のズレたところとかがあって、上手くやるのが難しくて、それをきっと自覚している。そんな風に見えました。彼にとって生きていくのは人よりしんどいことなのかもしれない。でも彼の明日は残念ながらもうちょっとだけ続くし、だからあんじょう気張っていかんとあかんな、というお話。

 

・羽生黒男(三好大貴)

ほとんど唯一の悪役にして最大のコメディリリーフ。ギャグ多めの塩梅が愛されるキャラクターの秘訣か。何につけてもしょうもない、しょぼいやつなんですけど、そこが憎めないし、むしろ一周回って愛おしいんですよね。どっちかというとジャイアンではなくてスネ夫、なところがいい。黒男が嫌いなんて人いないんじゃないでしょうか。最後のシーンでめちゃくちゃ小さく見えるのがたまらない。

でも、そういう造形と秀太郎殺害がどこか結びつかないような気もするんですよね。人殺しなんてできる器か?という。できないからああいうやり方を取ったのかな。殺したとはバレないように、みたいな部分もそりゃあるだろうけど、直接殺せたとしても何事もないように振る舞うなんてことはできなかったでしょうし。ハムレット見せられただけであの狼狽ぶりだもん(ここの演技好きである)、なんなら秀太郎の亡霊なんて現れなくてもどっかボロ出してたかもしれないですね。

 

・羽生頑子(岩崎真吾)

これは絶対今回で注目する人増えましたね。あとしんごくん姿勢がいいなって気付いた。女性役ということでどんなもんかなと思っていたけど、羽生頑子は間違いなくいいオカンでいい女です。素直に好きだし、これから演じていく役にも期待が持てる。

わりと全体的につとめて普通に振る舞おうとしているような感じがして、頑子は何を考えているのかなと観ながら考えていました。殺すつもりで殺したわけではないんだろうし、だけど秀太郎がいなくなってくれて正直助かったみたいなところは確実にあるし、かと言って明確に殺したいほど憎んでいたわけでもないでしょう。難しいですね。そういう難しさを頑子自身もちろん抱えていて、でも蓮太郎やお客さんの前では普通に振る舞わないといけなくて。

好きな場面としてはやはり拘置所から帰ってきた蓮太郎と対面するところでしょうか。あの微妙な間、からの「帰っとったんかいな、アンタ」ですよ。それと最後の黒男とのやり取り。どう振る舞っていいのかもわからない蓮太郎や、罪悪感で押し潰されそうになっている黒男を包み込む愛情とか懐の深さとか優しさとか。

 

・歩野宮春(吉本孝志)

原作で言うところのポローニアス…なのですが特に原型がなくなっていると思う。普通にいいやつですね。中盤声が枯れてきて心配でしたが無事走りきってくれてよかったです。あとヒゲが似合いすぎて完全にオッサン。後々の台詞のために自己紹介で自由にボケられないのが残念である。

宮春っていいキャラクターですよね。確かにダメオヤジなんだけど、情の深い人好きのする男でもある。父親ぶりもそうだし、黒男をかばったりだとか、最後しれっと蓮太郎に仕事を紹介しているところにもそういう感じがしますね。日雇いでフラフラしているけど何だかんだ働いてはいて、きっとそんな中で培ってきた人脈もあるんでしょう。

そういうダメオヤジなんだけど、的なバランスが好きです。飲んだくれのダメオヤジなんだけど、息子たちをとにかく心の底から愛して大切にしていて、誰のことも本気では憎めず、自分を責めてしまうような人。終盤は見ていてほんとに切なくなりました。ダメオヤジっぷりにしたってたぶんあの界隈では珍しくもなんともないことで、きっとごく普通の良い人なんでしょうね。

 

・歩野定春(星璃

文句のつけようもない素敵なお兄ちゃん。いつも親春に向ける笑顔の優しいことったらないですね。羽生家は何しろややこしいんですが、対比的な部分もあるのでしょうか、歩野家は本当に家族ぶりが優しくて美しい。

ただ定春がこんなにいい兄貴なのに、親春は蓮太郎に執着と言ってもいいほど懐いていて、そこに嫉妬めいた感情もあるという。大して仲良くない兄弟なら別になんてことはないんですが、親春のたちもあって定春は過保護なくらいだし、親春も兄を十分慕っていて、だけど蓮太郎にくっついて回りたがる。そりゃ面白くないですよね。だけど定春としても蓮太郎は友達だし、本当に優しい人だからあんな風に苦しむ。

そう、「優しいところは宮春に似た」んですよね。他人を恨まず自分を責めるところ。どちらかというと宮春はそもそも怒らず、定春は怒りを覚えた上で抑え込むという感じではあるのですが。しかしいざ感情を爆発させるということが本当にヘタクソ。「他人を恨まず自分を責める」が宮春の自然な性質なのだとしたら、定春は「そうせねばならない・そうしたい」という思いもあるように感じました。もしかしたら宮春を見習っているようなところがあるのかも。

あとヘタクソと言えば喧嘩がマジで下手そう。一発殴っては自分の手を痛くしたりよろめいたり。優しくて穏やかで、そうあろうと努めている人だから、きっと喧嘩なんて全然せずに生きてきたんだろうな、と自然に感じられて好きです。蓮太郎とはまた別の意味で生きるのが下手なんじゃないでしょうか。そんなところがとても愛おしい。

 

・布袋昌吾(藤戸祐飛)

コメディリリーフしつついいとこもしっかり持っていけるポジションと演技で、やはり藤戸祐飛はよい。昌吾は落ち着いた人間、と表すのもしっくり来ないような気もしますが、なんというか地盤が揺らがない、安心感のある人ですね。ていうか台本見たんだけど「昌ちゃん」じゃなくて「しょーちゃん」なのめっちゃカワイイ。

昌吾と言えば親春の死を蓮太郎に伝える場面。「それやったら、俺はホレーシオや」という台詞が気に入って、けっこう考えていました。「羽生蓮太郎」は「ハムレット」から逃れられるのか、という問題。事実として「羽生蓮太郎」は「ハムレット」の昭和版などではなくひとつの作品だし、主人公の羽生蓮太郎もハムレットではない。だからその問題の答えは間違いなくNO。

蓮太郎もそれを主張していたはずなのですが、この場面では親春の死を受けて「俺はハムレットや」と言ってしまう。一方の昌吾はここに至っても蓮太郎≠ハムレットと考えている。しかしそれ以上否定せず、「それやったら、俺はホレーシオや」と答えて去るんですよ。優しいですよね。原作のホレイショーは「見届ける」という役割を与えられている。最後までそばで見届けるから、というメッセージ。そして余計な言葉はかけない。「好きにせえ」という台詞も原作の「let it be」を意識しているのかな。

ラストシーンも良いですよね。たぶん蓮太郎が石を投げたことで、ちょうど話していた親春と月のこと、月の石のこと、石を投げることの意味が結びついて、石の正体を知ったのではないかなと思うのですが(「ただの石や」だけでは理解できていないっぽい)、そんな感じも好きだし、この人の安定感・安心感を最も強く感じる場面でもあって。昌吾がいれば、そしてずっといてくれるから、蓮太郎はきっと大丈夫なんでしょう。

 

尾瀬倉&桐志田(有馬純&尾形大悟)

原作で言うところのローゼンクランツ&ギルデンスターンのニコイチな人たち。もう細長くて細長くて見ていて不安になりました。折れそう。お箸。あとイケボ。

劇中劇のシーン、尾瀬倉はキレてる黒男にビビッて気にしい気にしい演じている感じがよかったですね。有馬くん自身の印象も強まり、これからが楽しみだと思えただけにいなくなっちゃうのがもったいないんですが、やりたいことを優先するのも大事だもんなあ。なんというか後悔しない選択であってほしいものです。

桐志田は、劇中劇ではちょっと緊張しつつも堂々とした演技。演技プランというのか、ハブレン本編とはわかりやすく違う方向の演技だというのもあるかもしれませんが、雰囲気がガラリと変わって面白かったです。尾瀬倉もそうなんだけど、惰性でな~とか言ってるわりにガチってるのが良い。あと「親春はヒロインは嫌か?」がめちゃくちゃ優しくて好きです。

 

・羽生秀太郎(山田知弘)

出オチ乙。いや面白かったんですけどね。キモい動きとかたまらん。面白かったはすごく面白かったんだけど、山田くんを見るという観点ではやや物足りなさが残ったかも。あと初日あたり台詞抜けてた部分はあるとないとでだいぶ頑子の印象違ったし、演技も良かったので見られなかった人がいるのはもったいない。

モブやってるときはタバコの吸い方がかっこよくサマになっててよかった。タバコ似合いますねえ。慣れすら感じたんだけどもしかして普段から吸ってたりするのでしょうか。あと衣装が部屋着のニートからジャケットに変わったのはなんだったんだ…。

 

・蛍原康

最終的に王位を継ぐという立ち位置と、多忙なメンバーの日替わり出演という都合(出番・台詞の量)から逆算して作り出されたキャラって感じですかね。台本の台詞の量と実際しゃべってた量が違いすぎて面白い。最後のシーンもそれぞれよかった。

台本では小指の鉄のくだりとか丸々ないけど誰かの発案なんでしょうか。小指の鉄は本当に好きすぎる。黒男ちゃんを引き倒してでも小指を踏みに行く貪欲さがたまりません。あとサスペンダーがかわいいし笑いをこらえるのが上手。普通のヤツは笑いすぎである。最後の方とか常時ニヤニヤしてた気さえします。

全部は観られてないけど好きなネタ。竹下くんはコートたたむところもいいんですが、素で夏色が歌えないくだりがヤバかった。納谷くんは身長イジリ、よしくんは手紙(蒸し返されたのも面白すぎ)が好き。近藤くんは全体的にイカれすぎてて(千秋楽)むしろよく思い出せない。黒男が「いてまえ」する回って近藤くんのときだったっけ、あれ好きなんですけどね…記憶が…。

 

・歩野親春(田中亨)

あえて最後に回したのはいっぱい書きたいからです。いや、ほんと今回で田中亨のファン、注目する人は絶対にめちゃくちゃ増えましたよね。私もそのうちの一人です。フォアコンのときはふーんがんばれーくらいのもので、磯兵衛ではあまり注目していなかったので、今回まずは上手くなったなあと思いました。思えばもうフォアコンから数えてもとっくに一年過ぎてますもんね。頑張ってきたんだろうなあ。

とはいえ田中くんは高校出たばっかりだし、人間としても役者としてもまだまだ未熟で発展途上。けど、それは裏を返せば今の田中亨は確実に今ここ、この瞬間にしかないってことなんですよ。田中亨が2017年4月に演じた歩野親春は、きっと田中くん自身が再演したとしてももう二度とない。そして途上にある人だからこそあの親春ができた。強くそんな気にさせられました。

親春は大人になれない子供です。今はまだギリギリ子供と呼べる歳(だと思う)だけど、じきに年齢的には大人になり、けれど大人になる未来が見えない。誰にも共感してもらえなくて、誰のことも共感できない。不安定で不透明な存在です。そんな親春に、いま大人になろうとしている田中くんは自然にマッチするし、ちょっと拙いところすら純朴で幼い、うまく生きられない親春らしさの一端として現れるんですよね。

そして極めつけはあの透明感。どこまでも純粋なところや、あのガラス玉みたいな目が本当に綺麗で少し怖かった。言ってしまえば人間らしくないんですよね。人間らしさって汚さみたいな意味で言うことも多いけど、それが全然ない。あれは大人になってしまった人間ではなかなか出せないんじゃないでしょうか。何回も書くけど、いまここにしかないものを見た。

末満作品つながりで、TRUMPのアレンを引き合いに出して語る人がけっこういたんですが、最初それは違うと思ったんですよね。私はアレンをヤバいエゴイストだと思っているので。まさか自分を大切に思ってくれる、守ろうとしてくれる人がメリーベル以外にもいることを気付かなかったなんて言わせませんよ。アレンはそれらを切り捨てて自分のやりたいことを選んだだけ。だから純粋と言えば純粋なんですけどね。というか好きな女とセックスして子供作ってる男が100%純粋だとか言いたくねえ。深く考えずに俺が守らなきゃ~とか言ってるのは子供だとは思いますが、親春的な子供らしさでは全くない。TRUMPも思春期の少年たちの話ですが、子供と大人の境目みたいなテーマは薄めだし、どちらかと言うとアレンは一足先に大人になろうとしている人物とも思えます。その場合クラウスは永遠の子供。

そう、そこも親春とアレンとでは違うんですよ。親春は恋愛というか性欲すら理解できない。なぜなら子供だから。親春は究極の純粋な子供なんですよね。大人になっていく兄たちに置いていかれ、たった一人で子供の世界に留まり続けなければならない。そして不幸にもそのことは理解している。どんなに周りから愛してもらっても、共感されない・できない、周囲に同化できない永遠の孤独は消えない。だからって父や兄を疎むわけではないけど。

で、そんな折に戻ってきた蓮太郎です。妄想なんですけど、蓮太郎が大学に入った頃に別れたきりか、それ以前に疎遠になっていたんじゃないかなと。親春にとって蓮太郎は子供の頃の思い出のままの人で、子供の世界からフェードアウトしていったみんなとは違うんじゃないでしょうか。元々なついてはいましたけど、蓮太郎であれば、みんなと違って子供の世界にいてくれるような気がしていたのかも。狂ったふりもそんな思いに拍車をかけていたかもしれません。まともな大人は誰もそんなことしないので。

話を戻して、親春は本当に大人になる前に死ななければいけなかった。なんか萩尾望都っぽいですよね。純粋さを突き詰めると白痴の子供(少女)に至る。そして彼ら彼女らは大人になれない(なってはいけない)。大人は究極の純粋ではありえないから。そういう方向で考えると、親春はアレン系のキャラクターの進化系とも言えるのかも。

面白いのが、結果に注目するとアレンとそんなに変わらないところなんですよね。二人とも愛する人(でまとめさせてください)のために何かをしようとして、その結果として命を落とした。過程を見ると同じとは言いたくないんですけど。「誰かのため」をかかげる以上、純粋なエゴも本物の純粋さもそう変わらない結果をもたらすということなのでしょうか。

あの月光がかかって、青い光のなか親春が舞い上がるシーンは本当に幻想的で美しかった。あの目も微笑みも何もかもが純粋で綺麗で光っていて、美しいものにただ感動して泣いたのは初めてかもしれない。野暮な話、水死なので苦しんだかもしれませんし、遺体もきれいなものとはとても言えなかったかもしれません。でも親春の死は美しかった。それでいいんだと思います。なぜなら歩野親春は究極に純粋で、その純粋さが彼を殺したのだから。ところでここまで純粋って何回打ったんでしょう。あ、あと次冒険活劇だし田中くんにも元気な役やってほしいです。単純に見たい。

 

 

今回キャパが小さすぎることには少し批判的な気持ちもあったのですが(チケット足りてなかったし)、近くで見られたのは本当によかったです。次も会場同じですが、期間が長いのでチケットは大丈夫そうかな。あの狭い劇場で所狭しと暴れまわってくれるところを妄想すると今からワクワクしてきます。

その上Wキャストっていうのもワクワクですよね。PatchでTRUMPとかはみんな妄想したことあると思うんですが、末満さんが離れたタイミングでWキャスト。どんなものができてくるのか楽しみです。