「劇場版ヴァイオレット・エヴァーガーデン」の感想

劇場版ヴァイオレット・エヴァーガーデンを観ました。元々好きなアニメですし、いろいろなことがあったけれど公開にこぎつけられてよかった、観られてよかったなと心から思います。特典冊子見たら発行が4月24日で、本当はそれでも春には観られるはずだったんだよなとしんみりしてしまった。バレありです(原作未読)。

 

 

 

今回はデイジー、ユリス、ディートフリート、ギルベルト、そしてヴァイオレット、複数のキャラやエピソードを扱うものでしたが、テーマ的には(生きて伝えられるうちに)素直になろうよということ、またそれはシンプルなようでいてとても難しいこと、だからこそ尊いのだということ、で綺麗にまとまっていて気持ちよかったです。

手紙というものを題材にするにあたって、それは今までも繰り返し繰り返し作品が主張してきたことだと思いますが、この劇場版において、より強くそこにフォーカスしたのは集大成らしくて好きです。

作中世界でも時代は移り変わり手紙は時代遅れのものになっていく、というようなことは外伝あたりから匂わされてきましたが、やはり言うまでもなく手紙だけの良さというのはあるものです。しかし手紙の役割を奪っていく電話や電報(あるいはメールやメッセージアプリ…)にもそれだけの良さ、メリットがあり、だから生まれてきたわけで、手紙だけを持ち上げるのではなくそれぞれの通信手段が活躍する場面があったのもいいなと思ったところでした。逆を言えば、それらの特長があるからこそ手紙の特長も光るわけですしね。

ユリスとリュカの電話のシーンなんかそういう意味でも本当によかったですね。水橋さんと佐藤さんの演技がまた涙を誘いました。まあわりとずっと泣いてたんですが…。全然あんな鬼気迫る感じではないですけど、なんとなくテイルズオブベルセリアを思い出しました。佐藤さんの泣き声のせいだろうか。

 

集大成と言えば今回本当にそうで、今まで登場してきたゲストキャラ、ヴァイオレットが成してきたことの証がてんこ盛りであざとかったですね。テレビシリーズの終盤や外伝もそれまでのヴァイオレットの積み重ねと変化、成長を大きく感じさせるものでしたが、やはりフィナーレということでこれでもかと言うほど詰め込まれていて。「開始5分」がTwitterのトレンドに入っていましたが私も普通に最初から泣いてましたね。ワハハ。

ヴァイオレットがドールとしてさまざまな人びとに接し、その心について考え続け、成長し続けてきたからこその結末で、本当に感慨深かったです。最初の頃の彼女では絶対にああはならなかった。ギルベルトが実際はどういう人物であるのか、何を考えているのか、理解することができないからです。

「愛してる」も少しはわかるようになった、だから少佐の気持ちもわかる、と言ったとおりでしょう。ヴァイオレットがここまで成長したからこそ、人の心の決して綺麗ではない、ただのいい話では終われない部分に深く触れる物語にできたのだと思います。

 

今回好きだったのはディートフリートに関する部分ですね。大の大人に成長ということばを使うのもおかしいかもしれませんが、その大の大人であっても、今からでも己を見つめ直し、良くなろうとする努力が見えたところがまず好感度爆上がりでしたね。ヴァイオレットと名前で呼ぶシーンがいっぱいあったのも好き。歩み寄りがんばってるね…えらいね…。

口を開いてすらいないのに現れただけでめちゃくちゃ睨まれてて笑ったのですが、彼はひどいことをしたり言ったりしましたし、それは消えません。家族やヴァイオレットに対し彼はたくさん間違いましたが、それでもそこで終わりではなくて、不器用ながら懸命に、今からでも何かを取り戻そうとする姿がとてもよかった。

ディートフリートの性格的な問題、過去のあやまち、それらに対してなにかふんわり許された感を出すのではなくて、それらが確かに存在することを前提として見つめつつ前に向かって歩かせる話であること、その真摯さが好きです。

船のシーンやギルベルトと話すシーンなど、木内さんのお芝居もよくて楽しめました。シリアスなシーンはもちろんなのですが、ヴァイオレットに対して嫌味や憎まれ口はやめにしよう、本音で穏やかに話そう、と思ったらちょっとどう話したらいいのかわからない、そんな感じがなんというか愛らしいんですよね。がんばれがんばれ。

 

そしてギルベルトについて。彼女の記憶の中のギルベルトはいつも優しく保護者然として、かつての日々の思い出はいつもあたたかくて美しかった。けれどもそれはやはりヴァイオレットのフィルターを通して見ていたものだったのだなと思いました。彼もひとりの単なる人間であって、聖人でもなんでもない。矛盾や葛藤や思い込み、自分勝手さや私欲のある、そういう意味ではごく普通の人でした。

ギルベルトは生きていた。ではなぜ帰ってこなかったか、一切音沙汰がなかったのか。そこに対して記憶喪失とか意識不明とか重傷すぎて動けなかったとか、そういうじゃあ仕方ないね、で終われる理由をつけるのではなく、あくまでギルベルト自身の選択で戻らなかったのだとしたことは、人の心に寄り添ってきた物語として誠実に感じました。

述べたようにギルベルトは普通の人間であり、「君の思うような男じゃない」のは真だと思います。ギルベルトの考えていたようなこと、ヴァイオレットのためを思えば会うべきではないという主張の根拠である部分も間違ってはいないでしょう。実際やろうと思えばヴァイオレットを解放できたのだとすれば、ヴァイオレットを「不幸にした」というのは普通の生活を与えず戦場に置き続けたという意味ではその通りです。不可能であったとしても罪悪感を抱くには十分でしょう。ギルベルトはギルベルトでヴァイオレットにひどいことをした、そこからは逃げられない。

しかし、だからと言ってヴァイオレットのギルベルトを慕う気持ちがなくなるわけではないし、彼がヴァイオレットにしてやることができたことも多くあるのは確かです。ギルベルトがヴァイオレットに「愛してる」を、人として大切なものや彼女にとって素晴らしい思い出を与えたことは紛れもない事実であって、その価値、そして何より二人の間には愛がある、それは誰にも否定できないことです。ギルベルト自身にも。

もう愛し合ってんなら細かいことなんかどうでもいいじゃんと観ていて何度も思ったのですが、愛ってそれだけ大きなパワーがあるのでしょうね。書いててアホみたいなこと言ってるかもしれん自分と思うのですが。

過去のあやまちは消えないし、冷静に客観的に見てどうなのと思うところもあるけれど(二人の最終的な関係はぼかされていますが、私は保護者と被保護者の間にそれ以外の関係が生じるのはあまりいいとは思えないほうです)、そんなものかまわないと、あるいはそれを踏まえてでも共にありたいと思うほどの、そういうある種とても身勝手で美しく正しくなどない気持ち、それが愛なのかもしれませんね。ともかくハッピーエンドでよかったよねと。ここまで見守ってきて、「二人は幸せに暮らしました」に文句をつける気にはなれませんもん。

ですので、ここまでヴァイオレット・エヴァーガーデンの物語を追いかけてきて本当によかったと思える映画でした。受け手がこう言うのもおかしいかもしれませんが、これで悔いはないというか。改めて大好きなアニメになりましたし、そのうち原作も読めたらなと思います。けっこう違う点があるっぽいとはうっすら知っているので(フワフワしててすみません)、そのへん楽しみたいですね。