ミュージカル「マリーゴールド」初見のザッとした感想

母と娘には互いが必要であった。
青年はその母を自由にしてやりたかった。
少年たちは娘に「同じ夢を見よう」と語りかけた。


劇作家・末満健一がライフワークとして2009年より展開する、
「永遠の命」に翻弄される者たちの悲哀を描くゴシックファンタジー『TRUMP』。
最新作は、血と命を巡る愛の物語を描き出し、新たな真実を解き明かす――。

マリーゴールド、ライブビューイングに行ってきました。初見は生で観たかった気持ちもあるのですが、末満さん本人のスイッチングということで、あととにかく早く観たかったので…。生は大阪公演までお預けで間が空くので、とりあえず初見の感想を記録してみようかなという感じです。短いです。千秋楽まで観たらいつものダラッと箇条書きで行く予定です。

以下シリーズ関連作も含めネタバレありでたたみます。

 

本作はTRUMPシリーズ第5弾、また十周年プロジェクトの一環ということで、歴史を感じますね。しかしここまで来るとオタクと末満さんの駆け引きというか、もはやオタクが勘ぐりすぎて裏の裏をかかれる状態になってきて面白いです(震え)。

この間の配信で初見ごっこをしてみて思ったのですが、グランギニョルはけっこうややこしい話だったんですよね。専門用語とかトリックとかキャラクターの心情とか。その分考察しがいがあったんですけど、マリーゴールドはそういう点ではかなりストレートだったというか、グランギニョルに含まれていたものをさらに純化させたもののように感じます。話自体もそんなに入り組んでないし。

グランギニョルの感想記事にも一部書いたことなのですが、私はグランギニョルへの最終的な感想として、たとえ絶望に変わるとしても愛や希望の輝きを否定したくはないな、と思ったんですよね。たとえばウルが呪いに負けたかどうか、たとえ負けたのだとしても、負けるなと願ったダリの、「希望」と名付けたスーの想いは無駄で価値のないものでしょうか。そんなことはないと思う。希望の光が、後にくる闇をより深くするのだとしてもです。

それでマリーゴールドを観て、パンフレットの末満さんのコメントを読んで、一年越しにそう思ったことが間違っていなかったんだとわかって嬉しかったです。むしろ希望が絶望を、愛が憎しみを際立たたせるように、逆も然りなのかもしれません。それはそれで残酷すぎる話ですが。

とはいえマリーゴールド、絶望したは非常にしたんですが、いつもと違って意地悪だなとはあまり思いませんでした。ひどい話なのに純粋に「愛って素晴らしいよね」みたいなものを受け取った感じがする。特にコリウスとエリカはいつものTRUMPシリーズなら逆の変化を辿っていたような気がするんですよね。光堕ちキャラってなんなら初めてレベルじゃないですか?

二人に限らず、マリーゴールドの登場人物たち(一部を除く)の愛情は後半になればなるほど痛いほどまっすぐで、歌という表現に乗せられて胸にガツガツ来ました。歌ってすごくダイレクトに伝わるというか、直接こっちの感情まで動かされるんですよね。そういう意味では「我は守護者なり」「あたしは希望」あたりが好きです。とにかく感情で殴られるやつ。

そういう愛とはなにか。まあわざわざ考えなくてもパンフに末満さん本人から書いてあるので引っ張るんですが、愛とは人生の救いなんですね。たとえどんな形の愛でも、どんな終わり方の人生でも、人生に愛があればそれが救いだと。

コメントではアナベルマリーゴールドの人生にはそういうふうに救いがあったんだよ、と書かれていますが、多かれ少なかれすべての登場人物にも向けることのできる言葉/論理ではないかなと思います。

たとえばソフィは、特に本作ではまごうことなきヒールと言っていいでしょうが、SPECTER、TRUMP、LILIUM、そしてマリーゴールドを思い返してみれば、純粋な形でも、たしょう歪んだ形でも、ソフィの人生には愛し愛された経験があるわけです(クラウスはアレンしか見ていないのでノーカンとする)。愛し方も愛され方も彼にはまだわからないので、できれば今後にそれを掴んで欲しいけど。

歪んで壊れていく人生でも、望まないあっけない終わりでもそのときどきに愛はあり、ならば彼らの人生は救われている。そういうことになるのなら、彼らをただ見守る立場としても少しは救われる思いです。「終わり悪ければすべて悪しには決してさせない」という考えで作品がつくられていることがとても嬉しい。

そういうわけで、いつも以上に今後も追いかけ続けていきたいな、と思いました。マリーゴールド、私にとっては大阪公演が本番なので、引き続き楽しみに応援しております。ほんと楽しみ!