ひっつきむし(独断と偏見による)

いろいろ好きでゴメンナサイ

京都にて「青春音楽活劇 『詭弁・走れメロス』」をキメる

新釈 走れメロス 他四篇 (祥伝社文庫 も 10-1)

新釈 走れメロス 他四篇 (祥伝社文庫 も 10-1)

 

私は正直言って、なんでもかんでも「キメる」などという昨今の風潮は嫌いなのです。しかしあえて言おう、「詭弁・走れメロス」をキメてきた!と!

「ヤクをキメる」などと言いますが、まず私はネットスラングとしての「キメる」とは、その「ヤクをキメ」たときのような多幸感などに包まれるような何かを摂ることであると理解しております。今回観てきた「青春音楽活劇『詭弁・走れメロス』」とは、太宰治の「走れメロス」を元ネタに森見登美彦が書いた「新釈 走れメロス」を原作とした舞台でして、これがまさに「キメてきた」と言いたくなるようなそれは楽しいものだったのです。

「キメる」と言われるようなものは多くの場合「いいぞ病」と密接にリンクしており、「いいぞ病」とはそれを人に勧めるにあたって「いいぞ」としか言えなくなってしまう症状のことであります。「上手く言えないけど上手く言えないくらいこれはいいものなんだよ」という気持ちを表す言葉こそ「いいぞ」(たぶん)。

でもって、「詭弁・走れメロス」はいいぞ

主人公の芽野史郎(武田航平)は「走れメロス」のメロスにあたるキャラクターであり、その友・芹名雄一(中村優一)はセリヌンティウスに相当します。ふたりの所属する部活・「詭弁論部」が部室を奪われ廃部の危機に晒され、その不当性を訴える芽野に「まあそこまで言うなら明日の日没、学園祭のフィナーレをブリーフ一丁で『美しく青きドナウ』を踊りきり飾ることができたら部室は返してやろうじゃないか」と部室を奪った図書館警察の長官(市川しんぺー)に言われ、「やってやろうじゃないか、ただし姉の結婚式があるので(大嘘)出席したい、人質として親友の芹名を置いていく」として実際は満喫にこもったり、嘘に気付いてなんとか桃色ブリーフで踊らせんとする長官の追っ手から逃走したりするというストーリーです。

 このお芝居の特筆すべき点は、「原作の地の文まで台詞になっている」こと。「○○は××した」のような地の文を役者が台詞として話すのです。これは本当に説明するより見てほしい!という部分で、早口なんだけど早口すぎない語り口、語り手が変わっても一切途切れることのない滑らかさ、テンションの高さ大げささなんかが相まって、それはもうすごいスピード感を生み出していました。シーンにもよりますが、一定のリズムというかテンポがあって、最初から最後までその勢いなんですね。突然担ぎあげられてドワーッと運ばれてそのままゴール!みたいな感じで(意味不明)、これが「すごい」「楽しい」「いいぞ」としか言えなくなる原因の大部分を占めています。とにかく勢いがものすごい。

 そしてそれだけじゃないのが小道具などの取り回し。「どっからか出てきてどっかに消える」んです。マジで。

そこを見ようとするとセットの後ろの方から取り出したり、袖に投げたりしているのがわかるんですが、逆に言えばそうしないと流れの中でいつの間にか出てきていつの間にか消えるようにしか思われないのです。一定の、そして速いスピードの流れがあって、それが止まったり澱んだりしないんですね。「音楽的」とでも言えばいいのか。かつ、常にどこかに注目させられてしまうので、小道具がどこから出てきてどこに行くのかなんて気にしている暇がないのです。どれだけ計算や段取りがあってそれをどれだけ稽古してきたんだろう?と思ってしまうくらいでした。

 途中歌やダンスのシーンも入るのですが、逃走シーンなんかはこういう感じの現代アート的なダンスかマイムのパフォーマンスありそうだなあ(無知)なんて考えるような優雅(笑わせに来てる)なものだったりして、やたら主演・芽野史郎役の武田航平くんがリフトされまくっているのが印象的でした。台詞のあるシーンとは違ってスローモーション的な表現であることが多かったからでしょうか。思ったらそういう風に緩急がついていたんですね。そう言えばものすごい勢いだったと感じさせながらも飽きない・疲れないのはそういうからくりだったのかもしかして!

 ネタバレなしで語れるのはこれくらいなのですが、本当にこれまでになく舞台演劇含むパフォーマンスとは関わる全ての人の作品なのだと感じさせられるようなものが「詭弁・走れメロス」でした。初演もできれば観てみたいので(今回は一部キャストを変更しての再演)、どうかこれを機にDVD再販してくれますように!

 

以下、ネタバレあり萌えありでの感想など。

 

今回なぜ観に行ったのかというと、武田くんが出てるし関西で観られるし予定も合いそうだから、の程度の理由でした。

武田くんを舞台で観たのは去年の12月のTRUMPで、それが初めてかつ唯一でした。ドラマなんかでもキバを観たくらい。武田くんは去年のTRUMPでアレン/クラウス役でした。あれは素晴らしかった。アレンはすごくすごくキラキラしていてその眩しさが罪悪的だったし、クラウスは落ち着いていて冷たくて狂ってて怖かった。特に「武田アレン」という存在は刺さって仕方なかったんですね。キバでも音也が一番好きです。

でも元々TRUMPではアレンが一番好きだったし、音也も武田くんが好きだから好きってわけじゃないのかなと思ってたんですが、今回でいよいよ私は武田くんに惹かれるものがあるんだとわかってしまった感じがあります。謎の敗北感!もういいよDDで!推しは推しで特別だけど他にも好きな人はいっぱいいるんだよ!!

今回京都公演のマチソワ両方チケットを取ったんですが、ありがたいことに上手側最前列(超端っこ)と下手側通路横に座れまして、要するに武田くんがたいへん近かったわけです。特に舞台から降りてくるところなんて絶対に目が合った(ということにしよう)。あまりにも近いので嬉しがるどころかビビって固まったくらいでした。舞台から降りてきて最前列の前で軽く屈むようなところなんですが、「触れる距離♡」とかじゃなくて「いま足動かしたら蹴っちゃうかもな(ほぼ気のせい)」とか思ってしまったのはなんか申し訳ない。

 メロスでの武田くんはずっと出ずっぱりで常に話したり何かしていて、大変だったろうなと思うと同時にずっと見ていられて嬉しかったし、色々なところが見られてよかったです。ダンスなんかでヒョイヒョイ動いているのは見ていて気持ちよかった。武田くんってすごく輝いてるな、惹きつけられるなと思うんですよね。目がキラキラしてて、少年のような感じもあって。存在感があるというか吸引力があるというか。今回演じた芽野も破天荒な人柄ですが、人を振り回すキャラクターも嫌味がないのに似合う人だなと。

今回で具体的にどこのシーンが良かったとかうまく語ることができないのは私もまた「いいぞ病」に罹患した人間であり、「詭弁・走れメロス」について、武田航平について、大雑把に全部良かった!大好きだ!としか言えないからである(バカ)。

ただ、夜公演、大千秋楽を迎えて、舞台上でひとり拍手を受け、お辞儀をする武田くんの表情はいかにも万感であるというように見えました。泣きそうにも見えた。座長としてこの大変なお芝居を東京から京都まで駆け抜けた武田くん。お疲れ様でした。この人が好きだなと素直に思いました。

 

 ロクに講義にも出ず落第を繰り返しながら日々下宿で惰眠を貪るという芽野と対称的に、芹名は妙ちきりんな講義を取りまくるということをライフワークにした頭のキレる男(アホじゃないとは言ってない)。フライヤーのビジュアルでは前髪がありますが、本番のカッチリ七三で固めたヘアスタイルに黒縁メガネの中村優一はそれはもうイケメンでありました。そしてエリートが服を着て歩いているようなルックスの男がドヤ顔で「俺の親友がそう簡単に約束を守ると思うなよ!」だの「川と港は公共のものである」だのと意味のわからないことを言う姿の面白さときたらなかなかのものでした。あと芽野と芹名が息を合わせて変なポーズを取ったりするようなシーンが何度かあったのですが、そのたびに芹名から「ハイッ(無声音)」とタイミングを合わせているのがちょっとかわいいなと思いました。エリート、だがしかしアホというキャラクター像はコメディにはあるあるですが、こうも全力でやられるとやっぱり面白いんですよね。そして中村くんにはとても似合う。

芽野と芹名は奇妙な友情で結ばれているのですが、あれは「相手の阿呆ぶりを信頼し期待する」とでも言えばいいのか。「走れメロス」では「約束を守る」ことをメロスは誓い、セリヌンティウスは信じて待つわけですが、「約束を守らずに芹名に桃色ブリーフで踊らせる」ことをむしろ芹名が期待し、それを理解して絶対に逃げ切ってやらんと必死になるのが芽野なんですね。妙だけど、そこには全幅の信頼と相手の期待に応えねばならないという思いがお互いにあるわけで、なんというか美しき友情でもあるような気がします。そんな二人はとにかく仲良しで、そこに女の入る余地などなかったそうです。ヒロイン(?)の須磨さんという例外を除いては。

 

  新垣里沙さん演じる「須磨さん」は、二ヶ月間詭弁論部に在籍し、その間にほぼ全員の男を悩殺したというコーラと生湯葉をこよなく愛するヘビースモーカーであり、その一方で悩める男があれば「猫炒飯」とやらを作って慰めてくれるという方。芽野と芹名もその例外ではなく、二人そろって須磨さんと彼氏が一緒にいるところを目撃し失恋した過去があります。この須磨さんが得体の知れないヤバげでちょっとエロくてなんだかよくわからないけど「か、かっこいい…!」と思わせるところのあるような、とにかくメチャクチャな人という感じでした。新垣さんはまったく初めて触れた方なんですが、本編上映中はそういう印象だったのに、夜公演でのあいさつで普通に笑ったり話したりしているところを見たら、小柄でとても可愛らしい女性で、この人すごいなと思いました(語彙力)。

 この須磨さんは長官の初恋の人でもあり、長官がくじ引きで詭弁論部を潰して生湯葉研究会を作ろうとした原因はもちろん須磨さんであります。

 

市川しんぺーさん演じる図書館警察の長官は、こう、なんというかとてもかわいかったです。小太りのおっさんのかわいさ、メガマックス。ふうふう息をしながら太った身体で一生懸命歩く長官、かわいい。恐怖政治だなんだと言い非道を行いながら、そうなった理由はたった二人の友人たち(須磨さんとその彼氏)に裏切られた過去であることや、芽野という男をしごく簡単に信じてしまうところ、そんな根っこのいい人っぽさがかわいいんですよね。おバカで面白おかしく、かつどこかチャーミング。超かわいい。

長官がらみではOP手前の「今一度人を信じることができるようにかもしれない!」がやっぱり一番好きです。ジェスチャーをする長官にその手下の胸板の分厚い三人組(詭弁論部員役・小林至さん、荒谷清水さん、小手伸也さん)がアテレコするという演出なんですが、「人を」の部分で人間のシルエットを描く長官に「今一度ろくろで焼き物を焼くことができるかもしれない!!!」から始まり、しばらく延々と斜め上のアテレコ→ツッコミのループが続くという超面白いところ。「信じる」の部分は回替わりネタのようで、東京公演とかどんな感じだったのかすごく気になりました。見たかったよ!

詭弁論部員役のお三方はその他の登場人物に地の文に、影の主役と言ってもいいほどの活躍ぶりで(地の文部分の大半は三人の台詞だったのでは)、お高いサポーターを履き、汗で衣装をビショビショにしながら京都公演まで無事に駆け抜けてくださったことには頭が下がります。もう本当にここのコンビネーションの美しさときたら。縦横無尽に動き回りながら流れるように台詞をつなぐ様子の美しさったら感動するしかないというものでした。

自転車にこやか整理軍役のお二人(高木俊さん、上田悠介さん)は筋トレ器具のアームバー(今調べた)を某ペダルの舞台のように時に自転車のハンドルに見立て、時に筋肉を見せつけるために曲げ、そのために鍛えてきたということだそうです。お疲れ様です。実際ムキムキでした。終演のあいさつで「上田くんがムキムキすぎて追いつけないからこれ以上鍛えるのやめて」と言う高木くんに対し、関西が地元で京都公演にお母様が、な上田くんが「お母さん、こんな身体に産んでくれてありがとう!!」と胸を張っていたのが非常に印象的でした。

 

感想としてはこんなものでしょうか。しかしこんなに作りの緻密さや演出の面白さというものを意識して観劇したのは初めてでした。それは私の観劇歴が浅いからだとも思うんですが、なんかこう、それだけに新たな扉開いた感があります。こうしてズブズブしていくんだろうな…。

ひとまず森見さんの原作と「夜は短し~」を買ってみたので、しばらく読書家になる予定です。