読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

ひっつきむし(独断と偏見による)

いろいろ好きでゴメンナサイ

「超MOVIE大戦ジェネシス」について思うこと

仮面ライダードライブ

一昨日、仮面ライダードライブの夏映画、サプライズ・フューチャーが無事届きました。

高橋氏のことがあって発売されるかどうか不安でしたが、本当によかった。

ドライブへの贔屓目もあるでしょうが、パラロスやAtoZと並べて語れるくらい良い作品だと思うし、早く見返したかったので。

本編、特典と目を通しましたが、やっぱり大好きです。

プライズ・フューチャーについてもまた語りたい。

それを機会になんとなくジェネシスのパンフレットを引っ張り出してみました。ちょっと捜すのに難儀しました(遠い目)

ショックのあまりか付属のDVDの存在すら今の今まで忘れていたのが笑えたし、まだ見てません。タケルくんごめん。

買った日以来インタビューを読みなおしていたら傷の癒えなさを実感したどころかさらに重傷を負った気がする。

思ったよりすごい勢いで戸惑いや不満が漏れてるわ、インタビュー、あるいは編集してる側も思ってることありそうだわで…。

内田さんや馬場さんに至っては内容への質問載ってませんからね。

ゴーストの今年の放送も始まることですし、個人的に思うことをダラダラと書いて、そろそろ気持ち切り替えたいと思います。

冒頭はめちゃくちゃわくわくしたんですよ。

眼魔の起こす事件、そこに必ず現れるタケルら、そして彼らを関係者として追う警察側。

ドライブとゴースト、二者の合流を必然とするのには最高と言っていいくらいのシチュエーションだと思います。

なのにいざ合流してみるとおかしくなってくる。

ゴースト側に粗があるのは仕方ないんですよね。

フォーゼ本編とアルティメイタムをまだ観ていないので総括的な話をするのはアレですが、MOVIE大戦の新側でよかったと思うのはダントツで2010で、良いとされるフルスロットルですら仮面ライダードライブという作品の中では毒にも薬にもならない性質のもので、面白いけど見なくても困らないし(好きですが)、ビギンズナイトが本編に組み込まれた、仮面ライダーWに欠かせない良作なのはWがそれだけ特別に力が入れられるべき作品だったからだろうと思います。

平成ライダーシリーズを見渡してみても、最初から最後までの流れの計算がしっかりしているのはクウガ、W、鎧武というイメージ。

鎧武はスペシャル的な諸々で割を食った印象も強いですが。

でもフルスロットルにおけるドライブのTVスペシャルっぽい感じは、今になってみれば大正解の選択肢だったんだろうなと…。

9月開始だった頃でもCOREのオーズ編みたいなものができてくる(あれはまず単純につまらんと思う)のに、10月開始で何をまともに作れというのか。こればっかりは制作側に同情せざるを得ません。

逆に鎧武が9月終了のフルスロットルの出来がなぜ良かったのかと考えてみると、これはやっぱり鎧武がオチの決まった物語だったからなのかな。

パンフレットを読んでみると、ジェネシスの打ち合わせや脚本執筆の時点では、ドライブがどう終わるかもよくわかっていなかったとのこと。これはもうね…。

そういう事情を考えてみると、ジェネシスはなるべくしてなったあのクオリティなんだろうなとは思うんですが(フルスロットルでは奇蹟が起きただけで)、それとこれとは話が別です。

仮面ライダードライブのファンとして正直なところ、何が本当のラストランだ冗談もいい加減にしろと言いたい。

あんなもんを本当のラストランだとか何を言ってんだと。

ドライブのラストランはファイナルステージですよ…。ファイナルは本当に素晴らしかったのに。

パンフレットの役者陣の困惑ぶりを見るとあれが締めで本当に可哀想なのはファンではなく彼らだという気持ちにもなるし、もうやるせないやら何やら。

ジェネシスの許せないポイントの筆頭がロイミュードの扱いなんですが、死者の扱いについて今までが良かっただけに本当につらい。

MEGAMAXでは映司とアンクと比奈、三人のいつもの雰囲気の絡みや共闘、いつか会えるという確かな希望を見せてくれたし、戦国では二人の思い出の中で戦うシーンや最後に指輪を預けるシーンでドバドバ泣いた。

なのにジェネシスのロイミュードときたら唐突に復活してロクな会話もなく消滅。別の意味で泣くしかない。

パンフレットに上遠野くん×蕨野さん×松島くんの鼎談が載っていますが、そりゃ「もう考えるのはやめた」とか「あれは別の世界の三人」とか「個人的な希望としては~」とか言いたくもなるだろうし、なって当然です。

ドライブの役者陣はすごくドライブを愛してくれてると私は思うし、むしろ愛とか愛ゆえの色々しか伝わらなくて…。

もうハート・ブレン・メディックについては悪役だからと割り切ればいいのかと思えなくもないんですが(思えないけど)、チェイスについては本当に本当にひどい。

もちろんファンがチェイスと誰の再会をまず見たいかって言ったら剛ですよ。でもそれだけでいいわけないじゃないですか。

確かにチェイスが一番よく絡んだのは剛だし、終盤では二人の友情が大きく取り扱われました。

でもチェイスってそれだけのキャラクターなんでしょうか?

ライバルとして戦い、認め合い、時にはチェイスから諭すこともあった進ノ介は?

かつての因縁があり、助け助けられてきた、彼の愛した霧子は?

共に戦い、楽しい時間も過ごしてきた特状課の面々は?

霧子や特状課のメンツとは再会シーンや歓待される描写のひとつもなく、進ノ介に至っては顔を合わせすらしないなんて有り得ない。断言させてもらいましょう。そんなことはあっていいはずがない。

それなのにジェネシスでチェイスがやることと言えばくだらないボケくらい。

そんなことをしてる尺があったらせめて霧子と絡ませてくれれば、せめて剛ともっとちゃんと話させてくれれば。

結局ダヴィンチたちが復活してしまうのなら、別に最終決戦までチェイスがいたっていいじゃないですか。

ロイミュードの三人が共闘してくれたっていいじゃないですか。何のために彼らはあそこで消えたのでしょうか。

新ビジュアルだってすごく三人ともかっこよくてワクワクしたのに、出番たったのあれだけって。

ちょっと違う話にはなりますが、特に松島くんが夏映画で出番が少なかったのを残念がってらっしゃったのでそういう意味でも可哀想で…。

ハート、ブレン、メディックの三人は、単なる悪ではない存在として描かれ、ひとりひとりの人格や感情やドラマがありました。

ドライブ自体正義と悪とは?と問う要素もあり、終盤には共闘することにもなりました。

なのにジェネシスでの彼らときたらどうでしょう。人格のない悪役でしかありません。

これが春映画か何かの有象無象の敵怪人としてのスーツのみの出演ならまだ諦めもつきます。

どうせドライブも今年か来年の春映画ではモブとなっていることでしょう。笑い話として語ることもできます。

でもMOVIE大戦ジェネシスは、MOVIE大戦なんです。ゴーストへのバトンであり、ドライブの締めなんですよ。

それでキャラクターの人格を無視するなんてことがあっていいわけがない。悲しいです。

ビジュアルや口調の上辺だけの記号で、あれで彼らが彼らだなんて私には思えません。

せめて蕨野さんの言う通り、パラレルの存在として受け止めておきたい。

いやだからMOVIE大戦で扱いとして旧側のキャラがパラレルとか有り得ないだろうとは思うんですが、まあ心の健康のために…。

そしてチェイスが消えるシーン、パンフレットによると「またな、チェイス」という台詞は脚本にはなく、稲葉くんが頼んで言わせてもらったとのこと。

ファイナルでも同様の台詞があり、あれはとても泣けるシーンになっていましたね。

ジェネシスでは正直な話、取ってつけたみたいな感じで感動できないなと思ったんですよ。チェイスこれだけ?とポカンとしてたし。

なのにその取ってつけたような台詞ですら本来はなかったと。もはや笑うしかない。

本編で結局は直接ダチだと認めてやれなかった剛に、ちゃんと別れも言えなかった剛に、チェイス復活、からの別離ではしっかり別れさせてやる。再会を誓わせてやる。

それがどんな物語でもあるべき姿だと思うし、ファイナルではちゃんと魅せてくれた。

基本的にファイナルステージはパラレルであり、MOVIE大戦が正史だと思うので、正史でこそまた違う二人の再会がある、と思ってたんですけどね…。

特にファイナルでは霧子との絡みはなかったし、ぜひ霧子と再会させてやってほしかったのに。

進ノ介は比較的優遇されており、タケルに次いで出番がありました。

タケルの兄さん役としてはよく描かれていたと思うし、先輩ライダーとしての風格はあった。

いわゆる進霧な部分も、まあ良かったということにしておきましょう。唐突じゃね?とか不満はあるけど。

でも、もうちょっとタケル親子とちゃんと、進ノ介の根っこの部分で絡ませられたんじゃないかと。

仮面ライダードライブは父子の物語でした。

進ノ介と英介であり、進ノ介とベルトさんであり、進ノ介とエイジであり、蛮野と剛・霧子であり、あるいはクリム・蛮野とロイミュードたちであり。

ゴーストもタケルの父・龍は重要なキャラクターであり、今作ではタケルと龍の交流が主に描かれました。

あまり主人公の親が取り扱われないシリーズの中で、ドライブとゴーストは「父親」が重要になるストーリーです。

タケルと龍の関係を進ノ介とベルトさん(あるいは英介)にオーバーラップさせるとか、そういうことできなかったのかなあ。ここは単純にもったいない。

というか普通にベルトさんの扱い雑なんですよ。雑すぎる。

そもそもなんで草むらから野生のベルトさんが飛び出してくるんだとか、ベルトさん全く口出さないなとか、それでなんで10年前から分かってたんだよとか…。

これもロイミュード3人と同じですよね。表面の記号だけ持ってきてベルトさんを登場させた気になっている。

シリーズに関わるのは初めてだけどドライブは特に何回も見たと脚本家さんは仰っていますが、個人的には首を傾げたくもなります。

シリーズに関わるのが初めての方を起用されること自体が地雷だったんだろうなと結論しそうになります。正直言って。

序盤、龍がタケルと進ノ介を見て「仮面ライダー」という言葉を出すんですよね。

これめっちゃ伏線だと思ったんですよ。龍さん何か知ってんだろうなと。で、結局何でもなかったよね!

基本的に平成ライダーシリーズでは「仮面ライダー」という単語は使われないことの方が多いし、出てきたとしてほとんどはヒーローの象徴として大切に使われてきました。

剣やW、そして当のドライブでの、市民から自然に呼ばれたヒーローの名前としての「仮面ライダー」が特に印象的です。

剣崎も翔太郎・フィリップも進ノ介も、「仮面ライダー」とは何か、どうあるべきか、大切に大切にしてきた言葉ですよね。

進ノ介も最終話で、変身ができなくても自分は仮面ライダーだと言ってのけました。市民を守るのが仮面ライダーなんだと。そこで感動しなかったファンはいないでしょう。

なのに一般的なもののように使われていい言葉ではないと思うんですよ。

というかそもそも固有名詞だし、龍さんなんで知ってたんだろう。これってもう単純ミスの域なんじゃないだろうか。

ジェネシスはタケルが主人公のストーリーで、MOVIE大戦でそれが不正解だとは思いません。

これまでもMOVIE大戦編では旧側は先輩として見守るような感じが見られましたし。

でも、でもですよ。これまで3パートに分けていたものを統合して新側をメインに持ってきたのに、ドライブ側から見ても、ゴースト側から見てもパラレルと言わざるを得ないのはどうなんでしょう。

ドライブはゴーストに「本編で」出会ったはずなのに全く相手を知らず、ゴースト側はマコトや西園寺について矛盾が出てしまう。

新側がパラレルな感じなのはもう時期的に仕方ないと思います。

ならばせめてドライブ側に寄せてほしかった…それも時期的な問題なのかもしれませんけど。

私はMOVIE大戦での正史がどうのこうのというのはMOVIE大戦では旧側が正史、新側は矛盾があるならパラレルでも面識の有無だけは引き継がれるくらいだと思ってるんですが、MOVIE大戦でどっちから見ても矛盾が出てるっていうのはどうなのかな。

ゴースト側についてはもう何も言うまいと思ったんですがひとつ。

ここは好みとか捉え方の問題かもしれませんが、最終決戦での乱闘、私は嫌いです。

非戦闘員に何戦わせてんだと思うし、そもそもあいつらそんなに強いの?そんなに弱いの?って感じで。

そもそも変身ヒーローに混じって非戦闘員が戦うのは嫌いです。オーズの里中さんでも感覚的には結構ラインギリギリ。

彼女はまだ何も語られないなりにプロフェッショナル感があるのでまだ許せますが、一般人がそもそも敵うわけないだろうとか、ヒーローの存在意義とは、とか考えてしまうし。

変身できなくても然るべき装備や戦闘能力があるなら構いませんし、カブトやドライブ的なそういう組織としての戦いは好きですけど。

あとは私の頭が悪いからかはわかりませんが、結局どういう理屈で何が起きたのかよくわかりませんでした。

バタフライ・エフェクトとかそれっぽいこと言って結局どういうディティールなのかなあと…。

もう、死者の復活とか色々、ダヴィンチの能力ってことにしちゃえばよかったんじゃないかな…。

まとめると、私はこの映画についてあまりにも残念だと思っています。

せめて次のMOVIE大戦が春に公開されるとか、そうでなくてもゴースト側が素晴らしい出来であることを望みます。

ドライブ的には残るVシネ、そして小説が良いものでありますように。

上映会の抽選が無事当たりましたので、来月が楽しみです。